シンプルで分かりやすい、命の源をつくる仕事

農作業の途中のジャージ姿のまま、さわやかな笑顔で家に出迎えてくれたスタイルの良い無精ひげの男性。力みのない話し方と、そのさりげない客人のおもてなしは、この人が自然と調和して暮らしているという事を一瞬にして感じさせてくれた。岡山県で生まれ、社会人になり東京でバリバリ仕事をしていたこの男性が、なぜ高崎の倉渕町という、ある意味ど田舎に移住し、農業という仕事を選んだのか。この男性の生きてきた軌跡を探らせてもらった。

鈴木康弘(41歳)

まず、鈴木さん今の農業という仕事に至るまでの、職歴を教えて頂けますか?

大学の進学で生まれ故郷の岡山を離れ、神奈川に出ていきました。大学卒業後に、東京の広告代理店に就職し、その後、農業という仕事に興味を持ち、大地を守る会という会社で働きました。大地を守る会は、有機野菜や国産の自然食品などを扱う宅配サービスを全国的に行っている会社で、そこで僕は消費者さんと野菜の生産地を巡るツアーの企画などをやっていました。

大地を守る会から、ご自分で新規就農して農家になった、という流れは少し理解ができるのですが、広告代理店というある意味かなりデジタルなものを扱うビジネスから、農業というとてもアナログな仕事に興味を持って農業の世界に入っていったと、その接続点がイマイチ見えないのですが。

広告代理店の仕事は、それはそれで悪くなかったのですが、なんていうんですかね。シンプルな仕事がしたかったんですよね。広告代理店の仕事は、一つのプロジェクトにたくさんの人や会社が関わる仕事なので、ある意味大きなお金も動かす仕事ではありますが、自分の作ったものを売る仕事ではなかったので、自分がどんな価値を社会やお客さんに与え、何の対価としてお金を頂いているのか、僕には理解がしにくい仕事でした。その点、農業は、自分の作ったものを売る、作ったものを売れば売るだけ対価を得る、単純な足し算の世界です。しかも、農業という仕事は、人の命の根源をつくる仕事ですから、感じられる価値もその対価も、明確です。そんなシンプルな働き方というか、生き方がしたくて、農業という仕事に興味を持ちました。家族で一緒になって出来る仕事という点でも、私にとっては魅力的な仕事でした。

バリバリの広告マンが農家になったわけですから、かなりの環境の変化があったと思いますし、実際に新規就農する時はかなり勇気も必要だったのではないでしょうか?家族の反対とかはなかったんですか?

家族の反対は特になかったですね。収入は減るかもしれませんが、その分、都会で消費していた莫大な生活費を考えれば、使うお金もかなり減りますし、生活に困る事はないだろうと。まぁもしだめならだめでその時また考えよう、くらいの割り切りもしてましたし、どうにかなるだろうという根拠のない自信も少しありました。

サラっと言いますね(笑)そうですか。実際、何とかなったんですか?

suzukichild

最初はやっぱり大変でしたよ(笑)農業もやった事ないのに、農家として独立したわけですから、最初はわけの分からないまま、地域の先輩たちに教えを請いながら栽培をしていました。

地域の先輩たちっていうと、倉渕町の農家さんっていう事ですよね?あ、すみません。少し話を巻き戻させてください。新規就農するにあたって、なんで倉渕町を選んだんですか?

大地を守る会で、全国の野菜の生産地を周っていた中で、倉渕町もその一つだったのですが、他と比べて条件で選んだというわけでもないんですよね。インタビュー的には、新規就農の条件が他よりも揃っていたからここに移住しました、って言った方がいいですか?

いや、結構です(笑)真実を聞かせてください(笑)

確かに倉渕は新規就農しやすい条件は整っていますよ。私が所属している「くらぶち草の会」という営農支援団体では、販路も提供してくれますし、生産技術も指導してくれます。くらぶち草の会の所属会員は半分くらいが県外から来た人で、いわゆるヨソモノなのですが、ヨソモノを受け入れてくれる地域性も倉渕にはあります。また、高崎市には新規就農してから最長5年間、年間150万円(夫婦の場合は年間225万円)支給してくれる青年就農給付金というものもあります。一応、高崎が新規就農に向いている根拠もアピールしておきますね。

お気遣いありがとうございます(笑)続けてください。

条件が揃っていたという事も、もちろんありましたが、最終的には、他と比べて消去法でここを選んだ、というよりは、ご縁を感じて直感で決めた、という方が正しいかもしれません。土地にご縁を感じたというよりも、人にご縁を感じたんですよね。そこに居る人、それを取り巻く自然環境、すべてが立体的な絵としてイメージできたというか。それが私がここに移住して、この場所で新規就農しようと決めた理由ですね。

非常に抽象的なお話ですが、でも確かに、何かを決断する時って、理屈ってよりは直感ですよね。都会から、倉渕町というある意味ど田舎に移住してきたわけですから、かなりの環境の変化があったのではないでしょうか。

そうですね。一番ビックリしたのは、人との距離感が近い事ですね。お風呂から上がったらリビングでご近所さんが待っていたり、僕が農作業をしていると心配して向こうからズコズコと畑に入ってきて指導してくれたり、東京ではあり得ない人との距離感でしたね。

suzuki

僕も東京に住んでいた事があるので分かります。東京では、近所に誰が住んでいるのかも分からないのが当たり前で、お互いに無関心なのが当たり前ですもんね。ヨソから来た人間に、それだけ関心を抱いてくれるという事は、とてもありがたい事ですね。

そうですね。特に農業という仕事は、地域の方々に受け入れてもらえなければやっていけない仕事ですので、そういう点ではこの人との距離感がないと、僕なんかも農家として成立できなかったと思います。

それでまた話を戻させて頂きますが、そんな距離感の近い地域の先輩方から教えて頂き、鈴木さんは一人前の農家さんになっていったという事ですね。

そうですね。先輩方に教えてもらいながら、トライアンドエラーを繰り返すうちに、最初はそれこそ寝ずに仕事をするような事もありましたが、徐々に生産効率も上がっていき、今ではそれなりの労働時間で家族を不自由させないだけの収入は得られるようになりましたね。

農業に興味があるという人は、特に都会の若者に最近多く居るように感じますが、とは言っても、現場を見てみると、とても地味な仕事じゃないですか。鈴木さんが思う、農業のやりがいって何でしょうか?

毎年、野望を持ちながら仕事をしていますね。相手にしているのは自然なので、予想もできない事がたくさん起こります。教科書通りに、という事はあり得ませんので、1年を通じて感じた事を来年の改善点として、トライアンドエラーの繰り返しです。うまくいかない事ももちろんありますが、うまくいった時、良い野菜が出来た時は、大きな喜びを感じます。あとはやっぱり、最初の方でも申し上げましたが、命の根源をつくっている仕事なので、自分で納得のできる野菜を育て、自信を持って家族やお客さんに提供できる事、それによって喜んでもらえる事は、何よりのやりがいですね。

鈴木さんの淡々とした口調で言われると、とても説得力がありますね。とても尊い仕事をされているなあと感じました。最後に、新規就農で迷われている方に向けて、何かメッセージをお願いできますでしょうか。

露地野菜か果物などを中心に始めれば、初期投資もそれほどかかりませんし、少しずつ量や種類も増やしていけばリスクも少なくてできますので、とにかくやってみてください。高崎市倉渕町でお待ちしております。

鈴木さん、貴重なお話、ありがとうございました。

インタビューを終え、去り際の僕に、採れたてのニンジンを持たせてくれて帰路につきました。さりげなく自然の流れのように差し出してくれた鈴木さんの所作から、この土地に根付いている、分け合い、助け合い、支え合う文化を僕は垣間見ました。心あたたまる、そして力強いお言葉の数々、また採れたてのニンジンを、ありがとうございました。

 

About the author

公益社団法人高崎青年会議所 広域政策実践委員会委員長。大学生時代に起業。シェアハウス事業を立ち上げ、シェアハウス業界の草分け的存在に。その後、WEB制作会社を立ち上げ中小企業の売上向上に取り組む。2013年より地元群馬県に戻り地域活動を開始。2015年統一地方選挙にて初当選を果たし、現在高崎市議会議員の一期目。

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