「駅近で一番好きなカフェでお願いします。」と、こちらからお伝えし、集合場所として向こうから指定して頂いたfukucafe (福カフェ)にて。今回のインタビューは、東京で生まれて東京で育ち、社会人になってからご縁を伝ってあれよあれよと高崎に流れ着いた現高崎市職員の陶山さん。当時大嫌いだったこのまちの中で、仕事をし、暮らし、まちなかに参加していく事を通じて、大きく変わってきたこのまちに対する印象。それは、まちが変わったのか、自分自身が変わったのか。その変化のプロセスの中で起きてきた、挫折、葛藤、挑戦、ブレイクスルー、などを、真剣なまなざしでお話してくれた。
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陶山 朝江(すやま ともえ・31歳)
陶山さんは、高崎に来るまでは、どこで何をしていたんですか?
東京都八王子市で生まれて、2歳にならないくらいで東京都青梅市に引っ越して、それから大学卒業までは青梅の実家にいましたね。大学は、理系に進み、大学院に進むという選択肢もありましたが、親に支えられながら勉強をさせてもらうというのが、私にとっては窮屈でした。早く自立したい気持ちと、もっと研究をしたいという気持ちが両方あったので、研究をする事を仕事にできたらいいなぁと思い、就職活動で色々見てみた結果、埼玉県にある自動車部品メーカーにたどり着き、入社する事ができました。そこでは、自動車部品のラバーを研究・開発する仕事をしていました。その会社で、いわゆる社内恋愛をしまして。彼が、同じ社内にいるという環境がとてもやりにくくて、私が転職活動を始めました。最初は、福利厚生が良いし、子育てしながらも務められそうだなぁくらいの気持ちで公務員になろうと考えました。たまたま高崎市役所の募集要項に巡り合いまして、採用試験を受けてみたところ、採用して頂けまして、2010年の4月に入庁しました。それが高崎に来たきっかけですね。
高崎市役所に採用されてから、高崎に移住してきたんですか?
いや、高崎市役所に採用されてからも、当時住んでいた深谷市にそのまま3年間住んでいました。利用していた岡部駅から高崎駅も、高崎線で20分くらいだったので。
高崎に仕事で通うようになって、高崎の印象ってどうでした??
正直、嫌いでしたよ(笑)なんか中途半端で、つまんないまちだなーと。好みのお店もあんまりないし。高崎は私にとってただ仕事をしにくるためだけの場所でした。私も、このまちになじむつもりもなかったし、仕事はもちろん一生懸命やるけど、プライベートまでこのまちで過ごしたくなかったですね。
それは興味深い話ですね。あれ、今は高崎に住んでますよね陶山さん。いつから高崎に移住されたんですか?
2012年に結婚し、2013年の7月に高崎市に移住してきました。夫の通勤も可能だったので、私の職場に近い高崎に引っ越そう、ということで。
プライベートは関わりたくないこのまちに引っ越してきちゃったんですね。住んでみて、何か変わりました?
移住してきた2013年くらいから、私自身の状況は大きく変わりましたね。海外出張の多い夫で、彼が家を空けている間、「なんで私、高崎にいるんだろう。。」という疑問がふと降ってくることがありました。高崎に自分の親戚がいるわけじゃないし。唯一の繋がりである夫は高崎にいないし。高崎に居る理由が分からなかった。そんな悶々とした時期も経てですが、高崎に居る理由が分からないのであれば、その理由を、自分で作ろうと、そう決めたんです。その頃から、職場にもなじめるようになってきて、高崎のまちにもう少し関わってみようという気持ちが芽生えてきました。結果的に、夫とは離婚しましたが。今思うと、職場に対しても、高崎のまちにいる人に対しても、私がツンツンしてたところもあったかもしれませんね。
こんな数行の文字に収めちゃいましたが、この頃に、本当に色んな事があったんですね。具体的には、どうやってまちに関わっていったんですか?
2013年に、職場の同じフロアに、悴田さんという先輩が異動してきました。課が違ったので、最初はあまり話す事はありませんでしたが、徐々に悴田さんとおしゃべりする機会が増えました。雑談の中で、悴田さんに「どこか面白いところないですか?」って聞いたら、悴田さんが『一日デートコースプラン』というものを作ってきてくれたんです。
どんなデートコースだったんですか?覚えてます?
はい。榛名エリアにある悴田梨園で梨狩りをして、Albero.(アルベロ.)というジェラート屋さんでジェラートを食べて、有名なパワースポットでもある榛名神社いって、神社の山門の前でお蕎麦を食べて、その日がちょうど観音山の万灯会(まんどうえ)の日で、万灯会というのは、一万を超えるロウソクが観音山を灯すイベントで、分かりやすく言うと、巨大キャンドルナイトイベントですね、そこに行ってきました。悴田さんが作ってくれたデートコースを1つ残らず全部回ってみて、高崎の楽しみ方が少しわかった気がしました。都会のイベントやアミューズメント施設とかと違って、高崎のイベントやレジャー施設は、個人や地域の色がものすごく出ていて、みんなで創り上げている感じがにじみ出ているというか。そういうのが高崎の良さなんだなって、すこし理解できた気がしました。
なるほど。大嫌いだったこのまちの事は、好きになれましたか?
そうですね、その頃から段々好きになってきました。高崎つまらないなーと思っていたのは、自分が楽しもうとしていなかった、楽しみ方を知らなかった、というのが原因だったかもしれませんね。あと、住んでみて、私が実感している高崎の好きなところは、まちがコンパクトな事。車も自転車も持たずに、徒歩で仕事にも、映画にも、買い物にも、飲みにもいけちゃう。私の家から10分で歩いていける高崎駅はローカルステーションではなく、新幹線も在来線もたくさん通っているターミナルなので、東京にも新潟にも長野にもすぐに行けちゃう、そんな暮らしが高崎で出来ている事がとても嬉しいです。
もし、高崎に移住してくる方や、今高崎に住んでいるけど高崎つまらないなーと思っている方が、高崎を楽しむためにはどうしたらいいと思いますか?
ぜひ、地元に根付いているローカルなお店に行ってほしいですね。そうだなぁ。読書したい時は、この『fukucafe (福カフェ)』というお店、店主のあきのさんが素敵、空間も素敵、ベーグルもおいしい。日本酒が好きだったら『ザブン』!お洒落な場所でパスタ食べたいなら、『エルフリオ』。高崎ならではのパスタが食べたかったら、『カーロ』とか『ボンジョルノ』。カレー食べたい時は、『はるカレー』。お蕎麦な気分のときは『きのえね』、店主のけいこさんとお話すれば高崎の事いっぱい知れる。ガッツリお肉でビール飲みたいなあと思ったら『ブラジルグリル』。などなど、ローカルなお店ってもっとたくさんあるけど、パッと出てくるローカルなお店ってこんな感じですかね。
たくさん出てきますね!ローカルなお店って、楽しそうだけど、小さいお店とかだと、入るのに抵抗もありませんか?どうやってこの辺のお店に行くようになったんですか?
悴田さんに、『たかさき福ミーティング』というワールドカフェのイベントに誘われて、そのあと悴田さんに『TAKASAKATSU!』という朝活イベントに誘われて、そこには、市役所職員だけじゃなく、まちなかでお店やってる人とか、民間でまちづくり活動をしている人とか、経営者の方とか、会社員の方とか、普段あまり接しない人とも仲良くなる事が出来て、そこからまちなかとの接点が一気に増えましたね。
それにしても悴田さんて、偉大な存在ですね。まちと関わりだす最初のキッカケって大事ですよね。陶山さんにとってはそれが悴田さんだったのかもしれませんね。新しく移住してくる方は、どうしたらそのキッカケに出会えますかね?
高崎には、オープンでウェルカムなイベントがたくさんあるので、Facebookなどで調べてみて、ぜひ、参加してみてください。その一歩を踏み出すハードルが高い事はよく分かりますが。私もそうだったので。ただ、高崎の人たちって、みんな繋がってるので、1カ所繋がると、芋づる式に、ズルズルズルと、みんな繋がっちゃいますよ。
確かに。芋づる式にみんな繋がりますよね、このまち。じゃあ陶山さんにとっての最初に掴んだ芋づるが悴田さんだったわけですね。高崎移住計画もその芋づるの最初のきっかけになれたらいいなぁって思います。ここまでのお話をお伺いして、悴田さんに出会ってからの陶山さんの高崎ライフは大きく変化したんだなぁという事を感じましたが、陶山さんが移住してきた当初抱いていた疑問。「なんで私、高崎に居るんだろう?」という疑問に対する答えは、見つかりましたか?
そうですね、「見つかりました!」って言ったら嘘な気もしますが、なんとなく見つかった感じはします。みんなが幸せに暮らせるこのまちの未来を見ていたいなと思うし、そのために出来る事を、一市民として、また一職員として、私にできることをやっていきたいなぁと思います。
このまちの未来って、どんな未来を想像してますか?
私、生まれてから22年間、東京で生活しきたんですが、住んでた場所は、父親の仕事の都合で選んだのだと思います。東京での生活は、あまり地域のコミュニティという人の繋がりがなかったので、育成会とか自治会とかそういうのはあったと思いますが、そういったコミュニティが東京では生活のための「手段」だったんですよね。高崎に住んでみて、コミュニティってものが私にとって生活するための手段というよりは、むしろ生きていく「目的」のように感じています。そして、同じようにそう思っている人たちがたくさんいる事も感じていますし、それだけ、みんなでこのまちを作っていこうという空気があるまちだなぁと思っています。幸せってみんなそれぞれ違うと思うけど、それぞれの人にとって、それぞれの想いが受け入れられたり、それぞれの想いを形に出来たり、それぞれの人の居場所を作れたり、そんなまちになったらいいなぁって思いますし、そのために私ができる事をやっていきたいなぁって思います。
そんな高崎の未来を創っていきたいですね!何となく、おあとがよろしいようなので、この辺で締めちゃう事にします。陶山さん、本日は素敵なお話をありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
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ところどころ間を空けながら、質問に対して、真剣に自分自身の内面と向き合ってくれて、とっても率直で素直な言葉をアウトプットしてくれた、そんな印象が残るインタビューだった。私も、陶山さんが運営するイベントには何度か参加させてもらった事があるが、その空間はいつも、フラットでオープンな空気が流れている。かつてのツンツンしていた陶山さんの事を私は知らないが、自分の内面をオープンに出せるそんな陶山さんだからこそ、イベントなどでもオープンに話せる空間を創り出せるのだなぁと、改めて納得した。