スポーツで地域をつなげたい

高崎のフットサル界期待の星、地域を巻き込み果敢にボールと夢を追う。スポーツで地域をつなぐハブになりたいと語る高島さん。高校時代よりベルディの強化選手として東京へ移住、その後大学でもサッカーを続けていたが、その当時に出会ったフットサルの魅力に惹かれてヨーロッパへ渡航。主にスペイン、イタリアでは選手として活躍、その後にブラジルへ渡航し本場の選手育成の場を体験。ひょんなことから高崎へフットサルチーム、「アルテ高崎」のコーチとして招かれ移住。ゴールを狙うように自らを色んな場面へと放り込む高島さんに高崎の事を聞いてみました。

 

高島 大輔(たかしまだいすけ・41歳)

早速ですが、生い立ちを軽くで良いので教えて下さい。

生まれは茨城県の日立です。中学を地元で過ごしてからヴェルディ川崎の強化選手として、高校1年生から3年間を川崎市の生田で暮らしました。その後に東京の亜細亜大学でサッカー部に所属していました。その後に海外へ行ってフットサル選手として主戦場をイタリアにいくつかの都市を渡ってきました。群馬に来たのは今はなくなってしまった当時JFLのアルテ高崎にコーチとしてきました。アルテ高崎のスタッフに知り合いがいたのでその人のつてでしたが、残念ながらなくなってしまったので、現在は自分でNPO法人を立ち上げてフットサルのチームやスクールをやったり、社会人のチームの運営を任されていたりします。ちなみにですがそのチームは群馬県のチャンピオンにもなりました。高崎に来てからは10年くらいになります。

国内に留まらず、多くの都市に移り住んでこられたと聞きますが、それぞれ住んでみてどう感じましたか?ではまず国内から聞かせてください。

茨木の地元を離れてからは首都圏(生田)に住みだして、カルチャーショックの連続でした。周りがサッカーの強豪選手ばかりでしたのでプレイもそうですが、メンタルもかなり鍛えられました。生田は学生の街でもあって、地元に比べたら毎日がお祭りかというほど人が多かったですね。なんだかんだと楽しかったですが、日々の生活はサッカーに明け暮れていて、食事などは自炊と定食屋さんが主でした。この時は高校生でしたので勉強もかなり大変でした。学校が終わったらすぐにヴェルディの強化選手(ユース)として練習に行くため友達と遊ぶ時間もほとんどなかったですね。ただ、僕が茨城県出身で方言が強かったので、それがウケて周りには受け入れられていたように思います。その後、大学は亜細亜大学へ、サッカー部の寮で過ごしていました。場所は今でいうあきるの市になりますね。そこでもやはりサッカーに明け暮れる日々でした。このころにフットサルが日本に入ってきた時期でもあり、カフェで働きながフットサルをしていたときにブラジル人と知り合い招待試合に招かれて行きました。そこでの経験が今の僕のフットサル人生へのきっかけになりました。

カフェでの出会いから本格的なフットサル人生が始まったんですね。それをきっかけに、まずブラジルに移住されたんですか?

ブラジルは遠征ですね。その遠征をきっかけにフットサルを極めたくなり、当時フットサルの世界的なチャンピオンがスペインはバロセロナのチームであることを知り、ちょうどバロセロナに留学していた知人をつてにバロセロナへ飛び込んで行きました。当時20代で何のつても知識も無かったので、どうしたら選手としてチームに入れるのか模索していた時期でもありました。バロセロナに行って感じたことは街全体がスポーツに熱心で、フットサル以外でもサッカーやハンドボールなどあらゆるスポーツに対して地域でプロを育成する文化が出来上がっていて、地域のあらゆる人がそこに関わっているのを見て非常に面白いと感じました。この間でも地元チームのトレーニングに参加していたして、バロセロナには半年ほどいました。

バロセロナでチームを探すのと並行してイタリアでもチームを探していました。当時、中田がイタリアで活躍していた時期ですね。そこではプロとしてチームに所属していましたが、プロと言ってもお金はそれほどもらえませんでしたけどね。でも、住むところはチームが用意してくれて、食事はチームと契約しているレストランで食べられたりしたので困るほどではありませんでした。最初はローマに行きましたが、最初のチームはナポリに決まって、最後にペルージャのチームにいました。ですので、イタリアには約5年ほどいたことになりますね。

イタリアの後は半年間ブラジルに行きました。そこではフットサルを見直す時期で、選手の育成の環境なんかをトレーニングに参加しながら観察していました。ブラジルもバロセロナのように地域で選手を育てようという環境が整っていて非常に興味深かったです。そこでの期間は日本へ戻った時の事を見越して過ごしていました。ゆくゆく日本に戻った時には指導者としてフットサルに関わりたいという気持ちがすでにあったんですね。

なるほど、その頃から指導者を見越していたんですね。海外での経験を通じて、もっとも印象的だった場所とか出来事ってありますか?

やっぱりバロセロナですね。面白かったのが3年前に新婚旅行でバロセロナに行ったときに、地元の190cmくらいの兄ちゃんに話しかけられてびっくりしたのですが、当時公園とかで一緒にボールを蹴って遊んでいた子供だったんですよ。バロセロナでは、みんなが何かしらの形でスポーツに関わっていて、歳をとっても関われる、街全体が繋がっているように感じました。

たまたま出会ったんですか!?奇跡の再会ですね!時間が経っても、場所が離れても繋がっていられる関係性をそこで作れたという事が、素晴らしい事ですね。高崎に来てからの事を教えていただいてもよろしいですか?

海外から帰ってきてからは、当時のアルテのスタッフであった知人に誘われてコーチとして群馬にきました。先ほど言ったように残念ながらアルテはなくなってしまいましたので、アルテがなくなる前ですが、NPO法人を立ち上げて地元の子供や社会人のチームを運営しています。アルテが無くなるまえに、どうしようか考えていた時に広報高崎を見て障碍者のフットサルチームの記事を見つけボールを担いで乗り込んで行きました。そこの方たちとの繋がりが本当に良くもっと続けたいとの切な要望もあって、障碍者のチームを立ち上げました。それも、当時ブラジルで見た風景と重なります。ブラジルの公園ではフットサルをする人たちの中には当たり前のように障碍者も混ざっていて、それが本当に凄いことに感じて、今のチームを作る事にもつながっています。実際に障碍者がコートに立つと最初は何も出来ないのですが、4年もたつと目を見張るほど変わりますね。その変化や成長を見られることに、本当にやりがいを感じています。実は精神疾患や精神障害の治療の一環で行われるスポーツにフットサルが採用されていて、そういった面からもフットサルの可能性を感じています。まだ群馬には障碍者リーグがないのでいつか作りたいですね。

素敵な取り組みですね!群馬にも出来るといいですね!

髙島さんが高崎でかなえたい夢って何かありますか?

いつでもフットサルが出来る基地を作りたいです。まだ高崎には夜間も使えるような民間の屋内施設がないんですね。そこで昼夜を問わず色んな人がフットサルに携わってくれたら良いなと思います。群馬には中南米の人も多いので、しかもその人たちは昔日本でフットサルを広めるのに貢献した人たちでもあるので、その子供たちも巻き込んで、地元の日本人の子たちと一緒にインターナショナルな感じでやれたら、当時僕が海外に行って感じた雰囲気を彼らにも知ってもらうこともできると思います。そして障碍者の人の話にもつながりますが、携わってくれた子が施設で働いたり一緒にプレーしてもらうのも良いと思います。そのためには憧れになるようなチームがシンボルとしてあると良いのですが、やっぱり公共の施設では練習時間も限られてしまうので、民間の専用施設を作りたいです。高崎はそういった意味ですごく丁度良いところだと思います。まだまだチームがあれども点々としているので中心をつくるなら高崎だと感じています。スポーツでつながる地域を作りたいと考えています。強い選手やチームが生まれるのはその地域の文化によるところが強いと感じています。地域がスポーツで盛り上がっていればそこを目指して移住してくる人もいるかもしれませんね。そういったスポーツと地域をつなぐハブになれればと思ってます。スポーツに関わるのには実際にプレーするだけでなく観戦することだけでもスポーツをしていると思いますので、色んな人が色んな形で関われる事を伝えていきたいです。

ありがとうございます、最後に高崎(群馬)について思ったことを聞かせてください。

高崎の良いなと思うところは山や自然に近いところですね。欲を言えば海が欲しいですけどね(笑)東京や都心に比べてゆっくりしているので自分のペースでやれる感じが良いと思いました。人との関わり方が関わりやすいと感じていて、東京は人との距離感が物理的には近いけど、精神的には遠く感じます。ラテンの雰囲気の中で10年近く過ごしたのでのんびりとした性格になってしまったんですかね(笑)イタリアなんかは定刻通りに電車が来ないのは当たり前で、それを誰も文句は言わないんですよ。都心は便利ですけど、便利だからこそ、そう言った余裕がなく諦めがつかないじゃないでしょうか。

高崎は立地も良いし、住みやすい。そんな素晴らしい素材を使い切れていないのが、もったいない気がします。例えばプロスポーツのチームを作ったら、こんなに地の利が良いところはないのではないでしょうか。大企業は高崎の立地性をうまく使っているようですが、スポーツの面ではまだまだのように感じます。これからたくさんの方々のお力をお借りしながら、スポーツの面でまちを盛り上げていきたいなあと思います。須藤さんもよろしくお願いしますね!

はい!何かできる事があれば何なりと!応援しています!

高島さん、お忙しいなか長時間に渡るインタビューありがとうございました!

About the author

2017年度公益社団法人高崎青年会議所、広域政策実践委員会委員長。地元に根付いて創業40年、主に仏壇・墓石を取り扱う『清山堂』の経営者。移住者にもお求めやすい寺院墓地や自由墓地をご紹介。海外への渡航経験や静岡への移住経験から高崎の良さを再認識しこれを広く発信するために日々模索中。

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